発表演題のポイント
私は、禍事(まがごと=疫病、災害、事故、怪我、飢饉など)に遭われた人がどのようにして乗り越えていくかを症例とともに発表する予定です。
禍事を乗り越え、苦しみをなくしていった実例からは、学ぶことが多くあります。
また、植物からも学ぶことができます。今年の1ヵ月以上つづく長雨の冷夏でも、植物たちは8月の力強い太陽の光を浴び、しっかり育っています。その力強さに感銘し、感謝せざるをえませんでした。
事故が起きて大怪我をし、一命をとりとめたものの不自由な体になった人が、懸命に生きようとする姿に自然と手を合わせたくなります。苦しみを受け入れ、それをよしとして、すがすがしく生きる姿に自然と頭(こうべ)が下がるのです。コロナ禍があって、多くの人々が不安でお先真っ暗になったことでしょう。病気の不安、経済の不安、政治の不安、マスクしないことへの不安、検査して陽性になったら村八分に合う不安、人前で咳もできない、世知辛い世の中になってしまいました。
人々の口元はマスクで隠れ、ゆえに笑顔も消えてしまいました。
しかし一方で、普段体験できないようなことを色々と体験することができましたね。そのなかで不安になることがあったら、その心を見つめて癒していくことで、この禍事の時代をよしとして生きることができます。
そのためにも、一人一人が謙虚になって、自然に沿った生き方を始めることが大切です。
私たちは今までたくさんの人の発明によって、たくさんの便利さを頂きました。
働けばお金持ちになり、そのお金で何でも買えた時代、その時代が終わりに近づきつつあるのです。
今一度自然に沿った生き方とはどういうことかを深く考え、禍事の中でその不便さを受け入れ、感謝の心を養い、幸せに生きられるかが問われているのだと思います。
神さまが人間の意識を変えるために必要だから、その禍事が起こっているのであり、禍事からは多くの事を学べます。ピンチはチャンスなのです。
これから日本では、人口削減のために、新型コロナワクチンの強制接種も行われそうな雰囲気です。また、日本人の食を破壊する一貫として、種苗法の改正案が10月ごろに通過しそうです。これが通ると、農家の自家採種が限定され、将来的に、自然な種が大手企業に独占され、結果として自然な種が急速に姿を消し、遺伝子組み換え種などしか残らず、私たちが病気になるような穀物や野菜を食べるしかなくなる可能性もあります。
私たちが賢くなって、病気や病原体を恐れなくなるまで、また、私たちが自然の種の大切さ、食べものの大切さを心からわかるまで、そのような禍事は生じざるを得ません。人は苦しみが我が身に降りかかり、現実のものとならないと、意識を変えようとはしないからです。
ここに禍事から学ぶ意味があるのです。禍事をおこす荒神はそのような役目として存在し、それもまたは神の計らいなのです。どこまでも私たちが謙虚になり、神仏、自然、人々、親・先祖、全てに感謝し、尊重するという信仰心を取り戻せるように、禍事をおこしてくれている親心なのです。
このようなことをケースや体験談を入れ、発表したいと思います。
10月3日、4日は、JPHMAの第21回コングレスに皆で参加し、禍事を乗り越え、清く、ほがらかに生きていきましょう。